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帰省して知った母の成長

花が咲く丘

こんにちは、夏川凛子です。

今年のゴールデンウィークは、2泊3日で実家に帰省をしました。

子ども時代の嫌な記憶が蘇るため、あまり積極的に実家に帰りたいとは思わなかったのですが、大阪に住んでいる叔母が同じタイミングで実家に泊まりに来るということで、今回は3ヵ月ぶりに帰省することにしました。

いつも実家に帰るときに心配になるのが、また母に嫌なことを言われて、心がざわつく羽目になるのではないか、ということ…。

しかし今回の帰省では、以前と比べて自分が変わったためなのか、そういった出来事はあまりなく、むしろ母に対して新たな気づきが得られたように感じています。

目次

過去の出来事が原因で母に抱いていた先入観

私は以前、実家に帰省することが苦手でした。

実家に帰ると、「子ども時代に愛されなかったこと」、「家に自分の居場所がなかったこと」、「自由に生きられなかったこと」、「孤独と不安に苦しんでいたこと」が生々しい記憶として蘇ってしまうのではないかと思い、怖かったからです。

大人になって家を出て、やっと自由に楽しく生きられるようになったと思っているのに、あの家で母に会ってしまったら、「幸せではない小さな自分」に一瞬にして引き戻されてしまうような気がして、恐怖を感じていたのです。

他人の価値観を受け入れられない母。

子どもを自分が望む形にコントロールしようとする母。

子どもの可能性を信じず、心配ばかりして「何もできない」と決めつける母。

そんな母に縛り付けられることで、私の人生が潰されてしまうことが、嫌でたまらなかったのです。

今回の帰省で気が付いたこと

今までの私は、実家に帰省する度に「相変わらず私をコントロールしようとする母」を再確認するだけで、その度に嫌な気持ちになっていました。

しかし今回の帰省ではフラットな視点で母と接し、「母も人として成長し続けていること」そして「母にも尊敬できる点があること」に気が付くことができたのです。

具体的には、次のようなことを感じました。

1. 母の人としての成長が感じられた

今年58歳になる母は、私が実家に住んでいた頃とは比べ物にならないほど、人として成長していました。

特に印象的だったのは、母から聞いた、最近あった父とのエピソードです。

私の父は頻繁にトイレに行く癖があり、そのためかなりの頻尿です。

父と母が車に乗って二人で都内に出掛けた時、いくら探しても駐車場が見つからず、我慢できなくなった父が車内で失禁してしまったという話を聞きました。

母は着替えの洋服を買いに行ったりして父を心身ともにサポートをしたそうですが、その後、父の前ではその話題は出さないように気を配ったうえで、「今度一緒に病院に行こう」と父を諭すことまで行ったそうです。

その話を聞いて私は、人の失敗を責めず、焦らずに受け止めながら献身的なサポートをするということは、成熟した愛がなければできないことだと感じました。

以前の母だったら、一緒になって焦ってしまったり、オドオドした姿を見せてしまったりしていたと思います。

堂々とした対応をし、相手に寄り添った姿勢を取ることが出来るようになった母を見て、「私が子どもの頃の母は人として未熟なだけだったのかもしれない」「今はあの頃とは比べ物にならないくらい成長しているようだ」ということを実感したのでした。

2. 母が見返りのない愛を与える姿を見た

母に対してもう1つ新たに気が付いたことは、「見返りを求めない愛を与えられるようになっている」ということでした。

母は、久しぶりに帰省した私に対して、

美味しい外食に連れて行ってくれました。

快適に過ごせるよう、布団やバスタオルの準備をしてくれました。

一人暮らしの家に帰ってから食べれるように、美味しいパンやお菓子を買ってくれました。

どれも親子の間で当たり前に行われることだと感じる人もいるかもしれませんが、子ども時代の母のイメージが大きかった私にとって、母が自分をそのように扱ってくれることが、とても衝撃的に感じられたのです。

子ども時代のことが原因で、私が母に対して恨みや苛立ちを抱いていたことは、母にも伝わっていたはずです。

それなのに母は、私を献身的にもてなすということをしてくれました。

丁度、「人を愛するとはどういうことなのか」「私はどうすれば人を愛せるようになるのか」と考えていた時期だったので、突然その見本を目の前にしたようでした。

「これが見返りを求めずに人を愛するということか」と、母を尊敬した目で見ることが出来るようになったのは、今回の帰省の中でもかなり意味のある出来事だったと思います。

母を許す準備

幼い頃に感じた孤独や不安が原因で、「人生に対して常に漠然とした不安がある」「何に対しても怖いと感じる」「そのせいで挑戦したことの数が少なく、劣等感を強く感じる」など、様々な生きづらさを抱えて生きてきました。

あらゆる生きづらさの根本原因として、子ども時代に見た母の姿をいつも思い出していたため、母に対する恨みと怒りを捨てきれず、実家に帰ることが嫌でたまりませんでした。

しかし今回の帰省を通して、「人として成長し続ける母の姿」「見返りを求めずに人を愛する母の姿」を見ました。

ずっと変えられなかった母のイメージが、自分の中で大きく揺れ動きました。

心理学やスピリチュアルの勉強を日々実践することで、自分自身が成長したお陰もあるでしょう。そのため、母だけではなく自分自身の成長も実感できたことは、このゴールデンウィークで得られた大きな収穫の1つです。

母を許す準備が整いました。許し、感謝し、前を向いて自分の人生を生きる土台が整いました。

今後も私は、心理学とスピリチュアルの勉強を通して自分を成長させ、またフラットな視点で母を見ることで、新たな気づきが得られることを楽しみにしていきたいと思います。

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この記事を書いた人

子どもの頃に受けた傷を抱えたまま大人になった、アダルトチルドレンです。
自分らしく幸せに生きる方法を探すために、スピリチュアルと心理学、両方の視点から勉強をしています。
現在は、会社員として働きながら心理カウンセラーの養成学校に通っています。

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