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感情を抑圧された子ども時代

花が咲く丘

私たち人間は、さまざまな感情を経験する。

感情が芽生えるという自然な行為を子ども時代に禁止されてしまうと、抑圧された感情は潜在意識の中で渦巻き、毒となり、その後の人生に苦しみを与え続けることになる。健全な心で生きることが難しくなってしまう。

愛、喜び、悲しみ、怒り…自然な感情が抑圧されると、大人になった時にどのような影響が生じるのか、考えてみたい。

目次

感情を抑圧されるとどうなってしまうのか

愛の抑圧

何かを愛するというのは自然なことだ。

しかし、「良い子でなければ愛さない」「優秀でなければ愛さない」など条件付きの愛しか与えられないと、私たちは自然と何かを愛することができなくなってしまう。

よくあるのが、潔癖症の親に育てられることで「清潔でなければ愛さない」というメッセージを無意識のうちに受け取ってしまうことだ。

歪められ、制限された愛の中で育てられた子どもは、大人になった時に、条件を付けなければ自分を愛することができなくなる。

「良い子でない自分は誰からも愛されない」

「優秀でない自分は誰かに愛される権利がない」

「どんなに疲れていても清潔でなければ自分はダメになる」

また、自分自身に対する愛情と同じように、条件がなければ安心して誰かを愛することもできなくなってしまう。

本当の愛とは、無条件に与えられるものであるはずなのに。

喜びの抑圧

何かに喜びを感じるというのは自然なことだ。

しかし、親が選んだ行為の中でしか、喜びを感じてはいけないように制限されて育った子どもがいる。

「嫌でもこの習い事を続けなさい」

「そんなしょうもない遊び、やめてしまいなさい」

子どもが自然な形で成長することを願って出た言葉ではなく、親が望む形で子どもが成長することを願って出た言葉であるならば、その言葉は子どもにとって「喜びの抑圧」として受け止められる。

歪められた喜びの中で育った子どもは、大人になった時に人生に喜びを見出すことが難しくなる。

そもそも喜びとは何なのか、自然な感情を経験しないまま大人になってしまったからだ。

「嫌なことをひたすら続けるしかない、それが人生なんだ」

「自分がやりたいことを、やってはいけないんだ」

「こんなことに喜びを感じてはいけないんだ」

本来の喜びとは、人に決められた枠組みの中で感じるものではなく、自分が選んだ行為の中で自然と生じるものであるはずなのに。

悲しみの抑圧

何かに悲しむというのは自然なことだ。

人はどんなに小さな年齢でも悲しみを経験する。

「お母さんが妹に付きっきりで寂しい」

「家族の中で居場所がなくて辛い」

そんな孤独な悲しみを、誰一人として受け止めてくれる人がいなかったとき、抑圧された悲しみは胸の中にとどまり続けることになる。

親が言葉にして悲しみを制限してしまうこともある。

「お姉ちゃんなんだから泣いてはいけません」

「めそめそしていないでしっかりしなさい」

悲しみを抑圧されて育った子どもは、大人になってから、悲しみを健全な形で表現することができなくなる。

非行、八つ当たり、自暴自棄…それらは全て、悲しみという自然な感情を押し込んだために、行為として現れたものだ。

怒りの抑圧

何かに怒るというのは自然なことだ。

しかし、自然な形で怒りを表現することを、禁止されて育った子どもがいる。

例えば、他の兄弟と差別して育てられた子どもは、悲しみの後に怒りを感じる。

「どうして自分だけ愛されないのだろう」

「兄は何も言われないのに、自分だけ手伝いをさせられる」

そのような怒りを表現し、受け止めてもらえる環境がなければ、怒りは心の中に溜まり続け、毒となる。

心の中に蓄積した怒りは、大人になってから不健全な形で噴出する。

爆発させることでしか、怒りを表現することができなくなってしまうのだ。

子どもの頃に抑圧された感情を解放する

感情を抑圧されて育った私たちには、子どもの頃に抑圧された感情を解放することが必要だ。

静かな環境で、一つひとつの感情を思い出してみて欲しい。

「本当は、ありのままの自分を愛してほしかった」

「やりたいことをやって、喜びを感じたかった」

「寂しくて悲しい気持ちを、理解してほしかった」

「理不尽な待遇に対する怒りを、受け止めて欲しかった」

私たちの中には、ずっとずっと一人で耐えてきた、小さな姿のままのインナーチャイルドがいる。

その子はどんな表情をしているだろうか。

無理して笑っているだろうか、悲しそうな顔をしているだろうか、何かを我慢しているだろうか…

ずっとずっと頑張ってきたその子の感情を、大人になった私たちがしっかりと受け止めてあげなければならない。

「ありのままのあなたで、十分愛される価値があるんだよ」

「やりたいことをやりたかったね」

「悲しかったね、よく耐えてきたね」

「怒って当然の状況だったよね」

鎧の中で感情を出さず、ひたすら自分を守り続けてくれていたインナーチャイルドを、今こそ癒す時だ。

私たちの中にいる小さなその子に、今まで守ってくれたことに対する感謝の気持ちを伝えて、抱きしめてあげよう。

少しずつ、感情を抑圧せずに生きる

自然な感情を抑圧して生きることは、ありのままの自分を出さずに生きることだ。

本当の自分で生きられないことほど、辛いことはない。

だから私は少しずつ、自分の本当の感情を出すように意識している。

「悲しかった」

「寂しかった」

「腹が立ってしまった」

正直な感情を言っていいのだろうか、そんなことを感じること自体間違っているのではないだろうかと、ふと思ってしまうことはある。

だけど、ありのままの自分で生きたい。もう、インナーチャイルドをこれ以上苦しめたくない。幸せにしたい。

今からでも一歩ずつ、本当の自分で生きていきたいと思う。

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この記事を書いた人

子どもの頃に受けた傷を抱えたまま大人になった、アダルトチルドレンです。
自分らしく幸せに生きる方法を探すために、スピリチュアルと心理学、両方の視点から勉強をしています。
現在は、会社員として働きながら心理カウンセラーの養成学校に通っています。

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