心にポッカリと穴が開いたような子どもの頃の感覚は、今でも鮮明に残っている。
それは私にとっては古傷ではなく、現在進行形で胸を苦しくさせ続けるような生傷だ。
3人兄弟の真ん中だった私には、2歳年上の兄と、5歳年下の妹がいる。
小学校低学年の頃、「どうして他の兄弟よりも私のことばかり怒るのか」と聞いた時に言われた、「あんたは私が子ども頃に似ててイライラするの」という母の言葉は、29歳になる今に至るまで、長年にわたって忘れられずにいた。
子どもの頃の辛い経験は人生に影を落とす
「どうして私は、そんな子供時代を過ごさなければならなかったのだろう。」
理不尽な想いは、悲しみや怒りとなって、常に人生につきまとってきた。暗い影を落とし続けてきた。
社会人になってから、心理学やスピリチュアルを学んで、その問いに対する答えを自分なりに探し求めてきた。
今の私には、その答えは2つある。
辛い経験をした理由1:魂が高次元の成長を求めていたから
1つ目は、「魂が高次元の成長を求めていたから」だ。
あらゆる本を読んでいると、私たちは自分で選んだ家庭に生まれてきていると書かれている。
生まれる前に私たちは、今世で関わる人たちと約束を交わすのだそうだ。
私がある魂に言う。
「今世では、自分はこういう風に成長したいんだ。」
すると相手の魂が答える。
「わかった。じゃあ、私はあなたに対して思いつく限りの悪いことをするね。」と。
つまり、私は自分の魂を成長させるために、あえて辛い子ども時代を送ることを選んだのである。
そして母は約束通り、「私の成長のために、私に対して悪いことをした」に過ぎないかもしれないのだ。
自我が十分に形成されていない子ども時代に、理不尽な理由で拒絶される経験をもつと、その後の人生は並大抵の努力で「幸せ」を感じられるものにはならない。
打ち込める趣味や仕事をもったって、あまりにも深い心の穴は埋められない。
人にすがったって、ありったけのお金を使ったって、恋愛におぼれたって、非行に走ったって、埋まらない。
誰かに相談しても、簡単に理解してもらうことはできない。むしろ相手の言葉に傷つくことだってある。
どうすれば心の穴が埋まるのか、誰も答えを教えてくれない。
だから、自分で答えを探さなければならない。
その答えに近づくまでに、30年も、40年も、50年も時間がかかるかもしれないけれど、それほどの難題に取り組んでいるということなのだ。
そして難題をクリアした時には、魂がかなり成長しているはずだ。
私はあえて、自分の魂を磨くために、辛い子ども時代を送ることを選択したというのが、私の1つ目の答えである。
辛い経験をした理由2:その経験がなければできないことをしたかったから
辛い子ども時代を過ごすことになった2つ目の理由は、「その経験がなければできないことをしたかったから」だ。
私は、子ども時代が原因で長く苦しんだ経験から、自分と同じようなアダルトチルドレンの人たちを助けたいと思っている。
そのために、心理学やスピリチュアルの本を読んだり、心理カウンセラーの養成学校に通ったりしている。
決して、お金がたくさん欲しいからではない。他に稼げる仕事はいくらでもある。
尊敬される人間になりたいからでもない。他の方法で尊敬されている人はたくさんいる。
ただ、アダルトチルドレンの人たちを救う仕事をすることで、「自分の子ども時代の経験はこのためにあったのだ」と思いたいのだ。自分の人生を肯定したいのだ。
そうしたら、私自身も救われることになるから。
私は、「生き辛さを抱えている人たちを幸せにしたい」という高次元の目的のために、あえて辛い子ども時代を送ることを選んだのだと考えている。
まとめ
苦しかった経験が、魂を磨く。そして磨かれた魂は、誰かを救う光になる。
だから私は、自分の人生をしっかりと受け止めて、前を向いて生きていこうと思う。
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