子どもの頃から、一番欲しいものを「欲しい」と言えなかった。
一番やりたいことを「やりたい」と言えなかった。
大人になった今、とっくに親の保護下にはいないはずなのに、「我慢しなければいけない」という教訓だけが心の中に残っている。
そして「欲しい」が言えないことによって、私の願いはなかなか叶わないのである。
我慢していた子ども時代
私は子どもの頃、可愛いものや綺麗なもの、華やかなものが好きだった。
幼稚園の頃は、魔女の宅急便のキキに憧れていて、フワフワした白いエプロンを着たいと思っていたし、頭に大きなリボンを付けてみたかった。
小学生になると、モーニング娘。になりたくて、ミニスカートとルーズソックスを履いてみたいと思ったし、ダンスをすることにも憧れた。
だけど、そのどれも口にすることすらできなかった。
なぜなら、母の好みは私とは対照的で、母は素朴で大人しいものを好んでいたからだ。
子どもの頃の私は、いつも三つ編み頭にされていたし、ロングスカートを履かされることが多かった。
だから私の憧が叶うことはなく、なりたい姿になれない自分に対して、どこか自信をもつことができなかった。
私の理想を主張すると、母の好みを否定してしまうような気がして、何だか申し訳ないようにも感じていた。
大人になっても我慢が当たり前になっていた
社会人になった私は、自由に使えるお金を手にしたはずなのに、相変わらず我慢を続けていた。
子どもの頃やりたかったダンスに挑戦できるはずなのに、「この年からダンスなんてもう遅い」と思ってなかなか手を出せなかった。
ずっと海外に行ってみたいと思いながら、「海外に行くほどのお金がない」と最初から諦めていた。
挑戦する前から諦めるクセが付いてしまっていたし、今から挑戦してしまうと、「これまでずっと我慢を続けてきた自分」を否定してしまうようで、築き上げてきた自分を壊すことが嫌でもあったのだ。
「欲しい」を言わなければ幸せにはなれない
欲しいものもの・やりたいことを我慢するクセが付いてしまった私だが、29歳になってようやく、「欲しい」を口にしないと幸せが遠のいてしまうということに気が付いた。
具体的には、次のような状態に陥ってしまうのだ。
1. 願いが叶うまでに時間がかかる
「欲しい」と口にしなければ、手に入るはずの物も手に入らない。
「やりたい」と言わなければ、チャンスが巡ってくる機会が減ってしまう。
「そんなこと言うのは厚かましい」とか「恥ずかしい」とか考えてしまうのだが、
自分が「手にしていいんだよ」「やっていいんだよ」と心理的に許可できていないと、どうしても願いは叶いにくくなってしまうことに気が付いたのだ。
2. なりたい姿の自分になれず、自信がもてなくなる
母が喜ぶ職業に就いたって、それは私がなりたい姿ではない。
世間的に好感度の高いファッションに身を包んだからって、自分にとってしっくりこなければ心地が悪い。
全てにおいて「自分」を基準にしなければ、いつまでたっても「自分」が満足することはできないのだ。
「欲しいもの」「やりたいこと」を自分で想い描いて、口にして、行動して叶えていかなければ、いつまで経ってもなりたい姿の自分にはなれず、自分に自信がもてなくなってしまうことに気が付いた。
3. 欲求不満状態に陥り、心理的に不健康になる
「もう綺麗さっぱり諦めた」と思い込んでいても、叶えられなかった想いは潜在意識の中に蓄積し、心を蝕む毒となっていく。
また「欲しい」と言えなかった自分に静かに絶望し、自己嫌悪の想いが募っていく。
「欲しい」と口にしないことで陥る一番つらい状態が、「心理的に不健康になること」だろう。
こうなってしまうと幸せとは言いがたく、欲求不満の想いに自分自身を苦しめることになってしまう。
小さなことから「欲しい」を口にしていこう
今でも私には、心理的に多くのブロックがかかっている。
「一番欲しいもの」ではなく、二番目、三番目に欲しいものを言ってしまったり、
「一番やりたいこと」を言うと否定されたりバカにされたりするんじゃないかと思って、怖くなってしまったりする。
だから私は、小さなことから「欲しい」と「やりたい」を言うように心掛けているところだ。
「今日はこれを食べたい気分」とか、「こんな場所に行ってみたい」とか、そんな小さなことから始めている。
ようやくダンスとヨガに挑戦したし、誰にも文句を言われずに好きなファッションを楽しんでいる。
そしていつか「心理カウンセラーの仕事をしたい」「アメリカに一人で行きたい」「開業して自分の力で稼いで生きたい」という本当の願いまで、周りの人に言えるようになることを目指している。
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