人に甘えるのが苦手だと気がづいたのは、大人になってからだった。
子どもの頃は、人に頼らずに生きることが当たり前だと思っていたけれど、成長するにつれて「もっと人に頼ればいいのに」と言われることが多くなっていった。
「甘えること」や「頼ること」が苦手なアダルトチルドレンが多いというが、それがなぜなのかを考えてみたい。
甘えることが苦手だと気が付いた出来事1
私が初めて「甘えることができない」と気が付いたのは、大学生の頃だ。
新歓シーズンだった当時、飲み会で帰りの時間が遅くなってしまうことが多かった。
とある日、飲み会が解散したのが23時頃で、大学から実家の最寄り駅まで片道2時間もかかるため、家に着くのが夜中の1時になってしまうことがあった。
さらに面倒なことに、最寄駅から家まで徒歩30分もかかる。
普段ならバスを使うのだけれど、この時間になるとバスも走っていない。
ここで普通の人ならば、こんなに遅い時間になってしまったし、30分も歩くのは野暮なので、「駅まで迎えに来て欲しい」と親に連絡することだろう。
しかし私は、「こんな時間になって迎えに来てもらうのは迷惑だ」「歩いて帰った方が、誰にも迷惑がかからないし良いだろう」と考えて、一人で家まで歩くことにした。
結果として家に着いた時には、「なんで連絡をよこさないのだ」と親にこっぴどく叱られることになった。
この出来事によって、親の過保護や支配欲にイラついたのは確かだが(大学生なら飲み会が23時に解散することなんてよくあるし、家が遠いからといって毎回早く帰っていたら、自分だけが損をするようで嫌だった)、
それとは別に「頼るって苦手だなあ」とふと気が付いた瞬間でもあった。
甘えることが苦手だと気が付いた出来事2
社会人になってからからも、「甘えることができない」場面を多々経験した。
その一つが「店を見つけて予約すること」である。
私は大雑把な性格で、適当に歩いてたまたまあった店に入るような人間なので、飲み会のお店を選ぶことがかなり苦手である。
しかし自分が苦手だからこそ、それを人に任せてしまっては申し訳ないという気持ちがあり、一生懸命に店を探して予約するように努めていた。
けれども、何回繰り返したって、苦手なものは苦手である。
いつしか「どうして私がやらないといけないのだろう」「こんなに時間をかけて探していることを理解してほしい」と考えるようになっていった。
「お店を探すのが苦手だから、一緒にやって欲しい」とひとこと言えば良いものを、どうしても言うことができなかったのである。
後になって、「お店探しは得意だから、頼ってくれれば良かったのに」と言ってくれる人が現れた。
当時の私は「自分が苦手なことは、他の人もやりたくないはずだ」と考えて、一人で全てを背負い込んでいた。
得意なこと・不得意なことをそれぞれが分担して助け合うという考えが、全くなかった。
だから、人に頼るなんてできないどころか、そもそもそんな発想すらない状態だったのである。
甘えられない理由1:子どもらしく過ごせた時間が少なかったから
アダルトチルドレンの人間は、どうして人に甘えることができないのだろう。
あくまでも個人的な経験を元にしてはいるが、その1つ目の理由は、「子どもらしく過ごせた時間が少なかったから」ではないだろうか。
私は3人兄弟の真ん中で、2歳年上の兄と5歳年下の妹がいるため、5歳になった時に急に末っ子でいることができなくなった。
いつも傍にいたはずの母親が妹に付きっきりとなり、多くのことを自分の力でやらなければいけなくなった。
当然、「甘えたい」という気持ちが強くあったが、親が手を離せないことは見ればわかっていたので、泣く泣く諦めざるを得なかった。
「自分でどうにかしなさい」という親の気持ちは、言葉や態度に表れる。子供はそれを敏感に感じ取ってしまうものなのだ。
「甘えること」=「悪いこと」だと考えるようになった私は、手のかからない子であることに自分の存在価値を見出していった。
私は、小さな子どもの頃から、大人のように自立しようとしていた。
自立とはすなわち、人に甘えないことである。
子ども時代を子どもらしく過ごせなかったことが、結果として「甘えられない」症状を生み出してしまったと考えられるのではないだろうか。
甘えられない理由2:人の顔色を伺ってしまうから
アダルトチルドレンが人に甘えられない2つ目の理由は、「人の顔色を伺ってしまうから」である。
私は、子どもの頃に母に拒絶された経験から、人に受け入れられないことが一番怖い。
そのため、二度と同じ痛みを経験しなくて済むように、何事においても人の顔色を伺ってしまうクセがある。
「今、忙しくないだろうか」
「話しかけて良い状況だろうか」
「この時間なら大丈夫だろうか」
毎回そんな風に気を遣うのは大変で、正直疲れてしまうことが多い。
そんな気苦労をするくらいなら、初めから人を頼ろうとせずに、全部自分でやってしまおうと、いつからか考えるようになった。
そのため、「人の顔色を伺ってしまうこと」も甘えられない原因の一つであると考えている。
甘えられない理由3:ありのままの自分を肯定できないから
私が考えるアダルトチルドレンが人に甘えられない3つ目の理由は、「ありのままの自分を肯定できないから」である。
アダルトチルドレンの多くの人は、「完璧な自分でなければならない」という強迫観念を抱えているのではないだろうか。
私もその一人である。
親から愛情をもらうためには、ただ存在しているだけではダメだった。
勉強で優れた結果を残さなければ、一目置かれないと感じていた。しっかりした子でなければならないと思っていた。
「完璧」でなければ存在意義が認められなかった人間にとって、人に甘えるという行為は、「完璧な自分ではいられない」ようで、気持ちが悪いことに感じてしまうのは仕方がないことである。
ありのままの自分では愛されない。つまり、ありのままの自分を肯定できない想いが、「人に甘える」行為をブロックしているというのが、私の考えである。
自分に「甘え」を許していこう
人に甘えずに全てを一人で背負うことは、自分自身を苦しめることになる。
苦手な部分で人を頼ることができるようになれば、どれほど生きることが楽になるのだろう。
ここで、アダルトチルドレンが少しでも「人に甘えられるようになる」ための方法を2つ述べたいと思う。
人に甘えれるようになるための1つ目の方法は、「周りの人は自分が思う以上に何も気にしていない」と考えるようにすることだ。
最近になって気が付いたことだが、私が苦手なことでも得意な人がいたり、仕事に集中しているように見えても話しかけてもらって構わないという人が、想像以上に多かった。
むしろ、「どうしてそんなに人の顔色を伺っているのか」と不思議に思われるくらいだった。(それがバレているのは恥ずかしかったが)
なので、一度「周りにいる人は自分が思っている以上に何も気にしていない」と考えて、前より気軽に頼ることを心掛けてみると良いと思う。
人に甘えれるようになるための2つ目の方法は、「ありのままの自分を肯定してあげること」だ。
そもそも自分は何が得意で、何が苦手なのか、把握できているだろうか。
全てのことが完璧にできなければならないと思い込んでいると、必要以上に、不得意なことも得意になれなければいけないと、自分を追い詰めるクセがついてしまう。
そうなっては、頼るべきタイミングもわからなくなってしまうのだ。
生きづらさを軽減するためにも、「完璧になる必要はない」と、不得意なこともあるありのままの自分を肯定してあげることで、人に甘えることが出来るようになっていくのではないかと思う。
人に甘えれるようになるための3つ目の方法は、「幼い頃に学んだ禁止令を解除していくこと」だ。
アダルトチルドレンの多くの人が、子どもの頃に「甘えるな」「自分のことは自分でやりなさい」などの言葉で、甘えを禁止されてきたはずだ。
大人になったあなたは、必要最低限のことはもう十分自分の力でできているはずだ。
だから今のあなたに、幼い頃に教え込まれた「禁止令」は、もう必要がない。
心の中のインナーチャイルドに、「困った時には人を頼っていいんだよ」「もうその禁止令は必要ないんだよ」と語り掛けてあげて欲しい。
少しずつ、少しずつ、「禁止令」を解いていくことで、私たちの甘えへのハードルは、下がっていくのではないだろうか。
まとめ
ここまで、アダルトチルドレンが人に甘えられない理由について述べてきた。
心身の負担を減らすためにも、全ての物事を自分の力で何とかしようとするクセは治していきたいものだけれど、急に変化しようとすることはまたストレスにもなる。
変化は、少しずつ、少しずつ起こしていきたい。
焦らなくて大丈夫。
一日一歩でも、進んでいこう。
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