私は社会人1年目、入社して半年で適応障害になり、会社を辞めた。
当時の私は、自分は社会不適合者だと本気で思っていたし、ちょっとしたことで心が折れるような弱い人間だと思っていた。
けれど29歳になった今、自分はアダルトチルドレンだということを知ったし、アダルトチルドレンは適応障害になりやすい理由があるのではないかと思った。
今日はアダルトチルドレンが適応障害になりやすい理由について書きたいと思う。
社会人1年目で適応障害になった
私は化粧品会社に美容部員として新卒入社をした。
好きだった美容の仕事ができることが嬉しかったし、好きなことを仕事にすることで自信を付けたいと考えていた。
しかし現実は、私にとっては厳しいものだった。
1か月間の研修を受けた後に配属されたのは、当時日本一忙しいと言われていた、都内の有名百貨店の化粧品売り場だった。
5月からの配属で、ゴールデンウイークという来客数が多い時期に慣れない接客を行わなければならず、毎日がものすごく大変だった。
挙動不審で接客が上手くできない。美容の専門学校に行っていたわけでもないから、メイクのタッチアップも下手くそ。商品の知識は何とか身に付けたけれど、いざとなると上手く言葉が出てこない。さらにテキパキ動かなければ、怖い先輩に腕組をして睨まれる…。
体力的にも精神的にも、日々自分をすり減らしながら仕事をしていたけれど、週に2回の休みでは、心と体の回復が追い付かなくなっていった。
休みの日にも商品知識を覚えたり、メイクの勉強をしなければならないことに、ストレスを感じていた。
好きだったはずのメイクも、好きじゃなくなっていってしまった。
仕事のことを考えると、何もできない自分が嫌になったし、先輩たちに「仕事ができない子」だと態度で表されることに、恐怖を感じるようになっていた。
そして8月のお盆明け、常に微熱が下がらない状態になり、仕事に行こうとすると涙が止まらなくなってしまった。
いよいよもう限界かもしれないと心療内科に行き、適応障害の診断書をもらって休職することになった。
入社して約半年間での出来事だった。
アダルトチルドレンが適応障害になりやすい理由
当時は、自分は社会不適合者だとか、ストレス耐性の弱い人間だとか、とにかく自分を責めていた。
しかし、心理学を学び、自分が陥っていた状況を客観的に見られるようになった今、アダルトチルドレン特有の生きづらさが原因で、適応障害にならざるを得なかったのではないかと考えている。
私は次のような理由で適応障害になってしまった。
1. 生きるための拠り所がない
私には、生きるための拠り所が何もなかった。
「自分は何のために生まれたのか」
「自分の使命は何なのか」
「何が生きる喜びなのか」
さまざまな疑問を抱えていたけれど、全てに答えが出せないまま、社会人になってしまった。
周りの同級生たちと比べて、自分だけが地に足が付いていないような感覚だった。
「お金が欲しい」とか「名声が欲しい」とか、そういった願望が何もなかった。
ただ、「自分らしく生きていたい」と願ってはいたけれど、どこか不安におびえていて、努力不足だとういう気がしていて、消えてしまいたい気持ちを抱えていた。
働くという以前に、そもそも生きること自体が危うかった。
そのため、生きる拠り所を見つけられないまま社会人になってしまったことが、適応障害になった理由の1つではないかと考えている。
2. 自分を責めやすい
必要以上に自分を責めてしまうことも、適応障害になった理由の1つだ。
私は、さまざまな言葉で自分を責め続けていた。
「休みの日にも勉強しなければいけないのに、気が進まない自分はダメな人間だ」
「コミュニケーション力もないくせに、美容部員になるだなんて思い上がっている」
「入社してたったの半年なのに限界を感じてしまうだなんて、自分は弱くてダメな人間だ」
周りの誰かに言われたわけでもないのに、常に自分の悪口が聞こえている状態だった。
「仕事ができない」
「センスがない」
「頭が悪い」
自分で自分に向ける言葉が刃物のように心を突き刺して、ボロボロに傷ついていた。
誰よりも自分を責めてしまったことで、心が耐えきれなくなってしまったのである。
3. 周りの人と自分を比べやすく、劣等感が強い
常に周りの人と自分を比較しては、劣等感を感じていたことも適応障害になった理由の1つだ。
周りの人は地に足を付けて仕事をしているのに、私は「なぜ生きているのか」とか、宙に浮いたことばかり考えて現実逃避をしていると思っていた。
皆はとっくにそんな疑問は解決しているのに、自分だけそこから抜け出すこともできていないようだった。
せめて得意の勉強を活かして商品知識だけは身に付けようと頑張っていた。
だから、新入社員のテストの成績は良かったのだけれど、それでも自分は劣っているという劣等感はどうにもならなかった。
常に周りと自分を比べては、劣等感の強さを再確認してばかりだったことに苦しくなり、結果として適応障害という症状に陥ってしまったのだと考えられる。
限界を感じたら、まずはしっかり休もう
適応障害の症状が表れ始めたとき、心理的にギリギリのところまで来てしまっている。
心が悲鳴を上げている状態なのだ。
そんな時は、迷わずに心療内科に向かい、休職という選択を取って欲しいと思う。
幸い適応障害はうつ病とは違って、ストレスの原因となっている環境から3か月ほど離れていれば、治る病気だとされている。(同じ環境に戻るとまた適応障害になってしまうので、治った後には環境を変える必要はあるが)
心の弱さが原因で適応障害になるのではない。
それまでの人生で何度も辛い経験をし、すでに心がボロボロの状態に耐えてきたからこそ、発症してしまったのだ。
自分を責めずに、むしろここまで耐えてきた自分に、「よくがんばってきたね」「少しお休みしようね」と声を掛けてあげて欲しい。
自分に合う職業は絶対にある
入社後半年で適応障害になり、会社を辞めてしまった私だが、その後の人生はどうにかなっている。
自分は社会不適合者ではないかと思っていたが、その後はシステムエンジニアとして3年半、事業会社のWebデザイナーとして1年半仕事を続けられているので、どうやら美容部員の仕事が合っていなかっただけらしい。
「自分はどこから来て、どこへ向かおうとしているのか」
「何が生きる喜びなのか」
心にまとわりつく疑問の答えを見つけたくて、しっくりこなければ「次はこれをやろう」と勉強し、転職することを繰り返してきた。
今はようやく、「アダルトチルドレンとして生きづらさを抱え、何度も転職を繰り返したり、恋愛で上手くいかなかったりした経験を、心理カウンセラーとして人の役に立てることが自分の使命だ」という答えにたどり着いた。
そのため、Webデザイナーの仕事を続けながら、週末は心理カウンセラーの養成学校に通って勉強をする日々である。
天職は、たったの一回で見つけられるものではないと思う。
自分に合う仕事、「このために全ての経験はあったんだ」と思えるような仕事はきっとあるはずだから、今後も諦めずに挑戦していこうと思う。
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